和牛界のオリンピックと言われる大会では3連覇を達成し、その名を全国に轟かせている宮崎牛。皆さんはその名を耳にしたことはありますでしょうか。ここまでのブランドを築き上げるまでに紆余曲折、様々な困難を乗り越え、今に至っているのです。この記事では、宮崎牛の歴史を中心にご紹介していきます。
宮崎牛とは?
宮崎の地で誕生したブランド牛で、これまで全国のブランド牛の日本一を決める大会で3度の優勝を飾っています。宮崎牛をブランドを名乗るためには、厳しい基準をクリアすることが必要で、その肉質は最高級の味わいを楽しむことができます。
宮崎牛のルーツは約30年と非常に浅いです。その短い期間のなかで、全国でも有数のブランド牛に育て上げた飼育農家の努力は並々ならぬものがあります。
宮崎牛の定義
宮崎牛のブランドを手にするためには4つの条件をクリアしなければいけません。
・黒毛和種であること
・宮崎で生まれ飼育されていること
・肉質等級が4等級あるいは5等級である
・県内種雄牛もしくは家畜改良のために指定された種雄牛を父にもつもの
これらの条件をクリアしたものが、宮崎牛の称号を手に入れることができます。
宮崎牛の特徴とは
宮崎牛と言えば霜降りです。他のブランド牛では感じることができない舌触りと芳醇な味わいを感じることができます。また脂身の融点が低いのも特徴で、体温ほどの温度でも溶け出すため、口の中に入れた瞬間にとろけてしまいます。また赤身は、癖は一切なく、肉質も締まっており、脂身との相性も抜群です。
お肉の脂身が苦手という方でも、サラリと食べることができるのが宮崎牛なのです。
宮崎牛の美味しさの秘密
宮崎牛のおいしさの秘密は、何といってもきめ細かな肉質と良質な霜降りにあります。赤身を見ると良くわかるのですが、全体に細かくキレイな霜降りが散りばめられたように入っています。
この霜降りにはオレイン酸が多く含まれています。このオレイン酸により、柔らかく上品な舌触りを感じることができ、濃厚なうまみが口の中に広がります。
宮崎牛の歴史
明治時代から昭和初期まで、宮崎県では牛よりも馬の産地として知られていました。しかし戦後、馬の生産が急激に低下したことで、和牛の生産に力を入れ始めたのが宮崎牛の始まりと言われています。元々は仔牛を他県へ送り出していましたが昭和46年、県内で仔牛を飼育し、良質な食肉を作るための取り組みがスタートします。その後、県をあげての政策を行い、生産から食肉として出荷するまでの一貫生産体制が完成しました。
そして昭和61年、「より良き宮崎牛づくり対策協議会」が創設され、宮崎牛となるための定義をまとめあげました。それが宮崎牛の誕生です。宮崎牛の歴史はまだ30数年の歴史なのです。
優秀な種牛の開発
宮崎県の飼育農家では、よりよい和牛を生むために、種牛の改良にも取り組みました。その努力のかいもあり、全国でも有名な気高系や但馬系などの特徴を取り入れた、新しい種牛の開発に成功します。それが「糸秀号」と「安平号」です。
この2頭の優秀な種牛により、高品質の肉牛が多く排出されることになります。現在は、この2頭の血を引く、美濃国号が活躍しています。
歓喜の全国和牛能力共進会日本一!
品質の改良をすすめ、全国和牛能力共進会での日本一を目指してきた宮崎牛ですが、思うような結果を得ることはできませんでした。第8回の共進会では健闘するも、同じ九州の鹿児島黒牛に日本一を譲る形になります。そこで宮崎県では次の大会に向け、出品対策共進会を創立し、本番さながらの大会を県内で開くなど飼育者の意識向上を図っていきます。妥協を許さず、最高の状態で大会に出場させるための準備を整えていきます。
鳥取県で迎えた第9回共進会。「伝えよう熱い思いを。示そう宮崎牛の力を。目指せ日本一。」をスローガンに掲げ、開催地到着までの移動中は、牛のストレスを軽減させるために薬を飲ませたり、到着後の飲み水は、大山麓まで伏流水を車で40分かけて汲みに行ったりと、牛の体調をしっかり管理することに余念がありませんでした。
その結果、宮崎牛はこの大会で悲願の初優勝を飾ることになります。またこの大会では、5部門ある審査対象のうち、3部門で最優秀賞を獲得することになるのです。宮崎県で牛の飼育に係る人すべての思いが集結した結果となりました。
口蹄疫から涙の復活!再び日本一の栄冠へ
歓喜の日本一からわずか3年後、宮崎県を中心に悲劇が襲います。それが「口蹄疫」です。口蹄疫は家畜の伝染病で、対処方法としては殺処分のほかありません。宮崎県では2010年4月の感染確認から終息宣言を出した7月までの間に、なんと約30万頭の家畜が殺処分されました。
その発端となった感染牛を出してしまったのが、宮崎県西都市にある黒木牧場でした。黒木牧場は有能な宮崎牛を育て上げることでも有名な牧場です。その時の心境を牧場主の黒木さんは「とにかく情けなくて仕方なかった」と語っています。感染を広げないためにも育てていた200頭以上の牛たちを全て殺処分した黒木さん。空になった牛舎を見るたび涙が止まらなかったそうです。
口蹄疫終息後も、畜産は再開することなく牛舎にも近寄ることがなかったそうです。そんな中、励ましてくれる友人などに触発され地産業を再開します。その時、この口蹄疫を生き残った一頭の仔牛の飼育を託されることになります。それまで培ったものを全てこの仔牛に注ぎ、丹念に育て上げていきます。その結果、2012年に開催された全国和牛能力共進会で、その生き残った仔牛が、なんと日本一を獲得するのです。
2010年に発症した口蹄疫の被害から2年。黒木さんの努力の執念は、日本一という結果で身を結ぶことになります。
あのアカデミー賞の授賞式パーティーでも大絶賛
アメリカで行われる、アカデミー賞授賞式の後に行われる祝賀会で2018年、初めて宮崎牛がハリウッドスター達に振舞われると、その上質な肉質と、とろけるような美味しさでその場のスター達から称賛の声があがったのです。
そして翌年の2019年、2020年と3年連続で宮崎牛は祝賀会で振舞われ、多くの監督や俳優陣に称賛を浴びることになりました。
世界で宮崎牛が認められた瞬間でもありました。
宮崎牛のおすすめの食べ方
宮崎牛の美味しさを、自宅で味わうためのおすすめの食べ方をご紹介します。定番メニューからオリジナルメニューまであるので是非ご自宅でお試しください。
焼肉
宮崎牛を美味しく味わうのなら、焼肉にするのもおすすめです。その際の注意点として挙げられるのは、肉の温度です。通常は焼く前に事前に冷蔵庫から出して常温にしておくのがよいとされているが、宮崎牛の場合は霜降りでキメが細かいので、常温でも脂が溶けだし、せっかくの旨みが損なわれてしまいます。それを防ぐためにも冷蔵庫から出したらすぐに焼くのがおすすめです。
ステーキ
美味しい肉は、やはりステーキで味わうのもおすすめです。宮崎牛は、柔らかく脂の融点が低いので、火を入れすぎてしまうと肉が硬くなってしまい、せっかくの肉質のよさや霜降りのとろける食感を楽しめなくなってしまいます。そのためレアからミディアムレアくらいで楽しむのがいいでしょう。
スタミナライス
まず常温に戻した宮崎牛に、塩こしょうと片栗粉で下味をつけます。その後、油を熱したフライパンで炒めます。そこににんにくと鶏ガラスープの素を加えてさらに炒めます。器にごはんを盛り、炒めた宮崎牛をのせてにんにく、しょう油、砂糖、酢で作ったタレをかけます。最後にコーンや青ネギ、バターをのせ、好みで黒胡椒をかけたら完成だ。食欲をそそる味付けと宮崎牛の旨みが凝縮されており、ついつい食べ過ぎてしまうアレンジレシピです。
宮崎牛の生春巻き
サラダ感覚で宮崎牛を味わうのなら、宮崎牛の生春巻きがおすすめです。作り方は、宮崎牛を湯通しして水気をきっておき、きゅうりやみょうが、トマトなど好みの具材を食べやすく切り、水をくぐらせて戻したライスペーパーで宮崎牛と具材を巻いていきます。あとは好みのタレを添えたら完成です。宮崎牛のやわらかさと野菜の歯ごたえがマッチしたおしゃれな一品です。片手で食べられるので、おもてなし料理としてもおすすめのメニューです。
まとめ
宮崎牛の歴史について解説してきました。昭和後期に誕生した宮崎牛の歴史は、まだ30数年と他のブランド牛と比べると浅いです。しかし、このわずか30年の間に、口蹄疫という宮崎牛の危機に直面する悲劇が訪れ、それを乗り越えてきました。
それは県内で和牛に携わる関係者や、飼育農家の努力があったことは忘れてはなりませんね。その後の活躍は見ての通り、現在では全国でも屈指の肉質を誇るブランド牛として認知され、世界でも認められるまでに至りました。今後の活躍も目が離せないですね!
このような歴史を刻んできた宮崎牛。そのとろけるような美味しさを皆さんも是非楽しんでください。